青蓮寺湖~香落渓~比奈知ダム 紅葉の里山サイクリング

○参加人数        11名(うち女子2名、男子9名)
○開催日          2015年11月22日(日)
○集合時間・場所    10:00 近鉄 名張駅
○解散時間・場所    15:10 近鉄 名張駅
○ルート                名張駅~青蓮寺湖~香落渓~曽爾村~御杖村~比奈地ダム~名張駅
○距離                約65km
○重点項目          三重県まで行って良かったと感動できる紅葉が美しい里山を皆で楽しんで走る。          
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週末には降雨日になるパターンが続いているので開催日の天候が心配でしたが、皆さんの日頃の行いが良かったので、この日は楽しいサイクリングに行ける天候になりました。
本日ご参加の元気な方々です。
名張が生誕地の「江戸川乱歩」先生の銅像をバックに出発時のワンショット。
ここから本日のサイクリングの始まり~始まり~。 
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ここに来るまでにひと汗かきますが、最初のビューポイント「青蓮寺湖」でのワンショット。
K村さんが全員のダムカートを管理事務所で貰ってきていただき、本日一枚目のダムカードを皆がゲットできました。
今回は美しくて走りやすい湖岸道路が台風18号の影響で崩落した為に通行止めとなっていたので、もうひと汗かいてもらい山越えの迂回道路を走り香落渓へと進みます。
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香落渓(かおちだに)に入り、数々ある奇岩の一つ「天魔嶺」の大自然が作り上げた美しさに最初の感動。
柱状節理の岩盤と説明するN川さんや、北海道の層雲峡にも似ているとN口さんも、それをカメラに収めてその先へ進んでいきます。
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その次のビュースポットは圧倒的な迫力がある、幅約700m、高さ約200mの後ろに見える大岩壁の「小太郎岩」に到着です。
中ほどにライオンの顔に見える部分があるので行かれた時には探してみてください。
この様に道路の真ん中に出て写真を写せるくらいここは走行する車も少ないのですが、でも安全第一・危険予知で先へと進みましょう。
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「曽爾高原」入口の看板からは少し登りがありますが、上り切った所がビュースポット。
背景の山がすり鉢状に剥げている辺りが、お亀の湯やススキで有名な「曽爾高原」です。
そこをバックにワンショット。
渓道と違い雄大な感じの眺めが気持ちいいのでホッとするとM崎さん。
ここからランチ処まではあと少し、お昼ご飯を食べられるという期待で頑張れます。
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適度な運動をしたのでお腹もペコペコ、皆で楽しくワイワイ言いながらのランチタイムです。
ここ民宿2.7(旧高原ホテル曽爾)は、サイクリストを優しく歓迎してもらえるのでお薦めのお店です。
サイクルスタンドも設置してあり、食事料金も一人50円OFFのサービスがあり、人数が多くても特別室が予約できるのです。
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食事の後は民宿2.7の売店で缶コーヒーを買ってのんびりと、「兜岳」をバックにワンショット。 
山ガールのY内さんは高さ920mの「兜岳」や、この先で見られる高さ868m幅約2キロの「屏風岩」の大岩壁にも登ったことがあるそうですが、安心してください自転車ではなく歩いてですよ。
ここからは旧道路を走り御杖村へと入っていきます。
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今回のコースのピーク「桜峠」を過ぎればここからは概ね下っていく道になるので、皆さんホットしている様子です。
里山の旧街道をさらに走って行き伊勢本街道から分岐したところにある集落の紅葉が美しかったのでここでワンショット。
この後は名張川沿いに「比奈知ダム」へと旧道を進んでいきます。
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野生の猿が道路でお出向をしてくれて「比奈知ダム」に到着です。
T田さんに管理事務所へ全員のダムカード貰いに行ってもらい、2枚目のダムカードをゲット。
皆の前にまるでダムの様に横たわるN口さん。
このダムは放水口まで降りて行って巨大なダムを下から見上げることが出来る珍しい所です。
ダムカードの撮影ポイントから見た後、名張駅までが最終ランになります。
名張駅までアクシデントも無く全員が戻り、ここで解散です。
これで本日のサイクリングは、お仕舞い~お仕舞~。

輪行でGO!ニコニコサイクリング下見(湯浅町)

 ○参加人数        7名(うち女子1名、男子6名)
 ○開催日         平成27年10月31日(土)
 ○集合時間・場所    10:00  紀勢本線箕島駅
 ○解散時間・場所    15:00    紀勢本線湯浅駅
 ○重点項目            MCCサイクリングの下見体験をする。
 〇走行距離                 25km(実走時間1:43:34、平均速度15km/h)
 〇コース           箕島駅~栖原海岸~湯浅町(角長醤油資料館、職人蔵、甚風呂、
                       大地震津波心得の碑、かどや食堂)~広川町(稲村火の館、

                                                       広村堤防、濱口梧陵の墓、濱口梧陵の碑)~湯浅駅
               
              
               
               
                
                
               

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本日のMCC行事は、有田ミカンで有名な箕島駅から有田川を渡り、醤油発祥の地湯浅町から広川町にかけて「醤油の道」といわれた熊野古道を行く、観光サイクリングです。
下見ということですが、女性1名、男性6名もお集まりくださいました。うれしいもんですね。
「由良の崎潮干にけらし白神の磯の浦廻をあへて漕ぐなり」(万葉集)は、この辺りの風光明媚な栖原海岸を詠んだ歌です。
「湯浅の入江の辺松原の勝形奇特なり」(藤原定家)の歌も詠まれました。
普段味わえない海岸美を眺めながら走る心地よさは、サイクリングならではですね。(よそ見注意!)
やがて醤油積み出し埠頭「大仙堀」と石積の堀と立ち並ぶ醤油蔵が見えてくると、醤油発祥の地湯浅に到着です。たくさんの和風建築と小路小路(細い路地)が今なお残り、熊野古道沿いに発展した町の雰囲気が残ります。
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天保12年(1841年)創業の醤油醸造の老舗「角長」さんの資料館です。
紀州湯浅が醤油発祥の地で、銚子や小豆島や全国に伝わりました。
現代の御当主は5代目角屋長兵衛様で御年90歳だそうです。今もお元気だそうでなりよりです。
伝統的な世襲制で代々おなじ長兵衛様のお名前を継がれるそうです。6代目ご予定の専務は、当クラブのN下さんのお知り合いで今回いろいろお世話になりました。ご縁はありがたいですね。
昨今の厳しい経済情勢のもと「貧者の一灯ならん」と真の醸造家をめざし精励するスピリットとスタッフの皆様の心温まるおもてなし、真心のこもった丁寧な解説をお伺いしました。
近くに職人蔵があり、職人の皆様が、汗水を流し、知恵を結集した醤油醸造に使われた道具が展示されています。
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鎌倉時代に由良の興国寺の覚心禅僧(後の法燈国師)が49歳で、中国杭州の径山で学んだ「径山寺味噌」(後に日本では金山寺味噌)の製法を広めたところ味噌桶の上澄み液の旨さに気付き製造を始めたのが醤油のルーツです。
湯浅には、大豆なし、小麦なし、塩なしですが、伏流水に恵まれ、おいしい水が、湯浅町内の地中に井戸を掘ると湧きました。
こうして湯浅で醤油つくりが盛んになっていきました。
代々の酵母が棲みつく蔵にて現在も吉野杉の木桶を使った昔ながらの製法にこだわります。
土曜丑の日を越えて、天然本醸造醤油で1年半、生醤油で2年半寝かします。
醤油の色は、大豆と小麦が反応して黒い色になるそうです。
大豆と小麦の割合で大豆の割合が2で薄口、5プラスアルファで濃い口、8でたまりとなり、塩分はたまりになるほど少なくなります。
写真は、幕末から昭和60年まで営業していた銭湯です。「みんなで入ると楽しいよ!」
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銭湯をはじめとして数々の和風建築物と展示館が一体になり、「お茶を飲んでいって」とお声をかけてくれて、町全体が旅人を迎えてくれる暖かい町です。
写真は、深専寺にある大地震津波心得の記碑です。
1854年安政南海大地震と津波の概要が記されています。
「嘉永七年六月十四日夜八ツ時海のおもて山のごとく盛り上がり云々」
「川筋へ逃げず、深専寺前を東へ通り、天神山へたちのくべし」
と具体的な避難経路を示し、また言い伝えだけにとらわれないようにのちの人への戒めが書かれた石碑です。
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熊野古道の道標です。
「まっすぐ熊野道」「南面伊勢高野道」「東面紀三井寺」と記されています。
町内は、重要伝統建造物群保存地区に選定されています。
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サバの棒焼が置いてある魚屋さんや漁師町らしく居酒屋さん、飲み屋さんが道を連ねる通りを眺めながら、地元の方に創業70年の老舗の「かどや食堂」さんの場所を訪ねます。
地図を見るのも大切ですが、地元の方にお伺いするのもお話ができて、いいもんですね。
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かどや食堂さんは、「生シラス丼」が有名なお店です。
生が苦手な方は、釜揚げもございます。
やはり都会では、なかなかいただけない「生シラス丼」は、貴重な機会ですね。
新鮮で透き通ったシラスは湯浅のしょうが醤油と絡んで絶妙のもちッとした食感です。
「いや~うまかったですねぇ(^^)」「みんなで食べると楽しいよ!」
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稲村の火の館です。
小泉八雲「生ける神」で世界に紹介された濱口梧陵の偉大な功績、人柄、津波の教訓等が紹介されています。
濱口梧陵(1820~1885)は広村(現在の広川町)で分家濱口家の長男として生まれ、12歳の時本家の養子なり、銚子での家業である「ヤマサ」(紀州のキの字を横にするとサになります)醤油の事業を継ぎました。
梧陵が広村に帰郷した時に安政の大地震が発生し、津波襲来時、「これはただごとではない」と稲に火を放ち、この日を目印に宵闇迫る混乱の中、村人たちを高台に誘導して多くの命を救いました。
この話は、「稲村の火」として教科書でご存知の方も多いと思います。
その後も被災民救済と復旧に尽力し、百年後の津波に備えるべく、巨額の私財を投じ、高さ5m幅20m長さ600mの今なお残る大堤防を築きました。
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工事に村人を雇用し、荒廃した村からの村人の離散を防ぎ、広村は、奇跡の復興を成し遂げました。
また漢学や剣術の私塾「耐久社」(現在の耐久高校)を設立し、教育にも力を注ぎました。
明治4年(1871年)大久保利通の命を受けて現在の郵政大臣になり、明治12年(1879年)には、和歌山県議会初代議長になり、その後木国同友会を結成し、民主主義を広めました。
明治18年(1885年)長年の願いである欧米への視察途中で客死しました。
近くには、濱口梧陵のお墓や広八幡神社にある勝海舟(優秀な才能を梧陵に見込まれた)の撰文、揮毫による濱口梧陵の石碑があります。
昭和南海大地震により村の大部分が津波から救われました。
梧陵の偉業に感謝し、「津波祭り」が毎年実施されています。
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最終目的地の湯浅駅に無事到着です。
写真のY内さんは、真夏のロングライドイベント以来です。
積極的にMCCに参加していただき、MTB企画にも参加されたいとのことです。(^^)
みんなで濃厚でジューシーな「本場有田ミカン」(一袋200円で無人販売)をいただいて、無事到着を祝いました。
おみやげに角長さんの手つくりの添加物一切なしの生の「濁り醤」
米や大豆や小麦の麹と瓜、なす、生姜の入った、ごはんによく合う「金山寺味噌」
を持ち帰りです。(^^)
今回は下見でしたが、本番も幹事を募って必ず行います。(^^)
その時は皆さんご参加くださいね。
「みんなで走ると楽しいよ!」ぜひ皆様もご一緒にいかがでしょうか!